2026年9月5日 マルチリンガルライティング研究センター第3回講演会

青山学院大学マルチリンガルライティング研究センター第3回講演会は,保田幸子先生(神戸大学)をお招きし,「理論と実践をつなぐL2ライティング指導 −マルチリンガルターンがもたらす新たな選択肢−」と題してご講演いただきました。本講演では,「二つ目の言語で書く力」とは何か,その力を育成するための指導法と評価法,さらに,従来のモノリンガル・モデルからマルチリンガル・モデルへの転換によって開かれる新たなL2ライティング教育の可能性についてお話しいただきました。
最初に,「二つ目の言語で書く力」とは何かが取り上げられました。L2ライティング能力は複数の「下位能力」から構成され,具体的には,L2言語形式に関する知識,修辞的知識,内容・トピックに関する知識,プロセスに関する知識,さらに,母語での作文能力など様々な知識や技能が含まれます。そして,L2で書けるようになるためには,こうした「下位能力」を育成する必要があることが紹介されました。
では,L2ライティング能力の育成には,どのような指導が必要になるのでしょうか。この問いに対して,保田先生は,L2ライティング教授法の歴史的変遷(Product Approach→Process Approach→Post-Process Approach)に着目し,実際のライティング・タスクを示しながら,それぞれの教授法の特徴を整理されました。ライティング活動を文法練習 (Writing as Grammar Practices)として捉えるのではなく,書くことを社会的行為 (Writing as Social Actions)として位置づけることの重要性が強調されました。その上で,学習者一人ひとりが自らの置かれた立場や状況を踏まえ,自分の意見や思考を発信できるようなタスクを設計することが不可欠であり,教師にはその工夫が求められることが示されました。ライティングの評価については,その目的と意義の観点から解説されました。学習者が何を理解し,何をまだ理解していないかを把握するための診断的評価,学習過程や進捗状況を把握し,その後の指導や学習改善につなげるための形成的評価,そして,学習成果や学習目標の達成度を評価する総括的評価があり,これらは第二言語学習を成功に導くため,あるいは第二言語習得を促進するために用いられるものであることが再確認されました。一方で,第二言語学習の成功を,母語話者レベルに「到達」できたかどうかという基準で捉えるのではなく,学習者の成長のプロセスと捉え,「発達(development)」という視点から評価の在り方を捉え直す必要があると指摘されました。
次に,L2ライティング能力の新しい考え方として,マルチリンガル・モデルが紹介されました。近年の第二言語習得研究では,L2学習者を母語話者と比較し,「何ができないか」「何が不足しているか」と捉えるモノリンガル・モデルから,複数言語を備えるL2学習者には「何ができるか」「何が強みか」に焦点を当てるマルチリンガル・モデルへとパラダイムシフトが進んでいます。マルチリンガル・モデルでは,多言語話者は複数の言語を個別に使い分けるのではなく,言語の境界を越え(translanguaging)ながら,多様な言語資源を柔軟に使用する (保田, 2024)と考えられています。L2ライティング教育においては,言語資源だけでなく,絵や写真,映像などの非言語資源にも着目し,学習者があらゆる意味形成資源を活用して,どのように意味を形成し,それを他者に伝えるのかを指導していくことの重要性が指摘されました。また,今後のL2ライティング教育では,学習者の主体性 (agency),創造性 (creativity),ヴォイス(voice)を重視した「書く力」の育成が不可欠になるとの見解が示されました。
講演会の出席者からは,「ヴォイスはどのように評価できるのか」や「中学校・高等学校の教育現場では制約も多く,果たしてどこまで実践できるのか」といった質問が寄せられ,より実践的な視点から意見交換が行われました。保田先生のご講演は,今後のL2ライティング教育を考える上で,多くの示唆と学びを得る大変有意義な機会となりました。
[参考文献]
保⽥幸⼦ (2024) 『書く⼒の発達:第⼆⾔語習得論と第⼆⾔語ライティング論の融合に向けて』 くろしお出版
2026年3月14日 マルチリンガルライティング研究センター第2回講演会

青山学院大学マルチリンガルライティング研究センター第2回講演会は,渡辺英雄先生(武蔵野大学)をお招きし,「選択体系機能言語学のジャンルを活用した英語ライティング指導・教材作成・評価」と題してご講演いただきました。
最初に,選択体系機能言語学 (Systemic Functional Linguistics,以下SFL)の基本概念について説明がありました。SFLはMichael Hallidayが提唱した言語理論で,functional grammar(機能文法)とも呼ばれています。「テクストとは意味で,意味は選択である」という考えのもと,言語体系だけではなく,言葉が使用される社会的文脈にも着目することが大きな特徴です。SFLでは,言語使用は,特定の文化的文脈 (contexts of culture)と状況的文脈 (context of situation)に基づいており,状況的文脈は,「言語活動領域(field)」「役割関係(tenor)」「伝達様式(mode)」の3要素から構成されます。Fieldは扱う話題やそのトピックの中での語句の選択,Tenorは人間関係に応じた文章表現の選択,Modeはコミュニケーションの方法や情報提示の構成の選択に関わるものです。私たちは,こうした選択を通して意味を構築し,テクストを産出し,意思疎通を行っています。 SFLのこうした考え方は,言語教育において,学習者が特定の文化的・社会的文脈の中で適切な言語使用を身につける機会を提供するものと認識されています。また,母語話者は文法的な誤りには比較的寛容であるが,語用論的な誤りには寛容ではない (Paltridge, 2022)ことが指摘されており,この点からもSFLを言語教育に導入する意義は大きいと考えられています。
次に,SFLにおけるジャンル (genre)について説明がありました。ライティングにおけるジャンルは,「目的」を持ち,意味を構築し産出する「段階」を経て行われる「社会的」な活動である(Martin, 2016)と考えられています。Humphrey and Feez (2024) が示すように,ライティングには様々なジャンルが存在し,それぞれ目的・文章構造・言語的特徴が異なりますが,本講演では,特に汎用性が高く,日本の教育環境においても馴染みのあるジャンルとして「語り文 (narrative)」,「描写文(description)」,「説明文 (exposition)」の3つが紹介されました。
最後に,ジャンル準拠ライティング指導と評価について説明がありました。ジャンル準拠ライティング指導は,「指導・学習背景の設定」,「モデル文の提示」,「共同的ライティング」,「自立的ライティング」の4段階から構成されます。しかし,近年の研究では,日本の英語学習環境におけるにおいては,特に,共同的ライティングと自立的ライティングの段階に課題がみられることがわかってきました (Watanabe, 2024)。このことは,学習者が文章構造や言語的特徴に関する知識を身につけたとしても,その知識を実際の「書く」行為に結びつけることは容易ではないことを意味し,ライティング指導の際はさらなる支援が必要であることを示唆しています。
講演会に出席された先生からは,「内容言語統合型学習 (CLIL)で理科や歴史のレポートを書く活動にもジャンルの考えは適用できるのか」や「教室活動の中で意味形成資源の選択肢を増やしていくための具体的な手法について,シドニーの言語教育ではどのような実践があるのか」などの質問が寄せられ,より実践的な視点での意見交換が行われました。渡辺先生のご講演は,多くの示唆と学びを得る大変有意義な機会となりました。
参考文献:
Humphrey, S. & Feez, S. (2024). Grammar and meaning (3rd ed.). Primary English Teaching Association Australia (PETAA).
Martin, J. R. (2016). One of three traditions: Genre, functional linguistics, and the ‘Sydney School’. In N. Artemeva & A. Freedman (Eds.), Genre studies around the globe: Beyond the three traditions (pp. 31–79). Trafford.
Paltridge, B. (2022). Discourse analysis (3rd ed.). Bloomsbury.
Watanabe, H. (2024). Adopting genre-based writing pedagogy in Japan: Challenges and possibilities from a teacher’s perspective.University of Sydney Journal in TESOL, 3, 87–98.
2025年9月6日 マルチリンガルライティング研究センター発足記念講演会

2025年9月6日,青山学院大学マルチリンガルライティング研究センター発足を記念して,佐々木みゆき先生(早稲田大学)をお招きし,「AIは第二言語ライティング教育をどのように変えるか?フィードバックの再検討と新たな可能性」と題してご講演いただきました。
佐々木先生は,まず「教師は何のために学習者の作文を添削するのか」そして「良い作文とは何か」という,ライティング教育において重要な問題を提起され,生成AIの導入によって学習・指導がどのように変わるかを問いかけられました。その上で,これまで十分に議論されてこなかった教育現場におけるAI活用の倫理的問題を,著作権,情報源,プライバシー,偏見・差別の4つの観点から整理されました。次に,1990年代後半以降の第二言語習得 (second language acquisition/SLA) 研究の動向を「方法論的転換 (methodological turn)」と「社会的転換 (social turn)」の側面から概観し,研究手法やアプローチの変化を明らかにされました。さらに,生態学的 (ecological) な視点から第二言語ライティングにおけるAI活用についても論じられ,学習者個人だけではなく,学習者を取り巻く環境も含め,ミクロ・メゾ・マクロの各レベルから多角的に検証することの重要性が示されました。
佐々木先生は,まず「教師は何のために学習者の作文を添削するのか」そして「良い作文とは何か」という,ライティング教育において重要な問題を提起され,生成AIの導入によって学習・指導がどのように変わるかを問いかけられました。その上で,これまで十分に議論されてこなかった教育現場におけるAI活用の倫理的問題を,著作権,情報源,プライバシー,偏見・差別の4つの観点から整理されました。次に,1990年代後半以降の第二言語習得 (second language acquisition/SLA) 研究の動向を「方法論的転換 (methodological turn)」と「社会的転換 (social turn)」の側面から概観し,研究手法やアプローチの変化を明らかにされました。さらに,生態学的 (ecological) な視点から第二言語ライティングにおけるAI活用についても論じられ,学習者個人だけではなく,学習者を取り巻く環境も含め,ミクロ・メゾ・マクロの各レベルから多角的に検証することの重要性が示されました。
講演の後半では,佐々木先生がこれまでに取り組まれてきた2つの実証研究について紹介がありました。1つ目の研究(Sasaki, Mizumoto, & Matsuda, 2024) では,機械翻訳によるフィードバックと教師によるフィードバックによって学習者の文章はどのように改善されるかについて,複雑さ(complexity)・正確さ(accuracy)・流暢さ(fluency)の観点から分析した結果が報告されました。2つ目の研究では,ChatGPTの使用経験がない日本人大学生を対象に,より良い文章を書くために個々の学習者が使用する指示文 (prompt) が時間の経過と共にどのように変化するかを質的に分析した結果が示されました。
最後に,佐々木先生は「良い文章とは何か」という問いに戻られ,ご自身が海外で体験したタクシー運転手とのEメールでのやりとりを例に,出席者とともに活発な議論が行われました。AIが提案する間違いのない(無機質な)文章が良いのか,それとも,私たちが産出する間違いを含むが意味の通じる(人間らしい)文章が良いのか,また別の視点から,読み手を考慮せずに書かれたものは果たして良い文章と評価できるのか,など様々な意見が交わされました。
佐々木先生のご講演は,21世紀のライティング指導を考える上で,多くの示唆と学びを得る大変有意義な機会となりました。
[参考文献]
Sasaki, M., Mizumoto, A., & Matsuda, P. K. (2024). Machine translation as a form of feedback on L2 writing. International Review of Applied Linguistics in Language Teaching. https://doi.org/10.1515/iral-2023-0223
